院長のひとりごと BLOG

子育てコラム

2025.09.24

2025.09.24

いちたくんとおさんぽ 2

阪急電車に乗っています

ねーおとうさん、あそこの隅っこだけ椅子の色が違うけど。

あれはね、優先座席。むかしJRが国鉄って呼ばれてたころ、銀色の布を張った座席を作って銀髪(白髪)のお年寄りを座らせたのが始まりで、シルバー(銀の)シートって呼ばれてたんだ。今は妊婦さんとか体の不自由な人とか含めて座れるように「優先席」って呼んでるね。もう座席も銀色じゃないし。

ふーん、ぼくは座っちゃダメなの?

いちたよりも弱い立場の人に譲ってあげてね。幼稚園でも小さい子に優しくしなさいって教わるでしょ。

弱いひととか困っているひとが「ゆうせん」されるんだねー。おなじJRでも、しんかん線のグリーンしゃは「ゆうせん」席ないの?

、、、そういえば見たことないなあ。

  

市場原理を前面に押し出すあまり道徳や社会的理性などを軽視するG.ベッカー1)の思想は、新自由主義経済の根幹として現代を支配しつつあります。彼の論調は「新家庭経済学」の内に顕著であり本邦の少子化対策へも少なからず影響を及ぼしていることはご承知の通りです。

つまり家庭に比較生産性原理を持ち込むことで家族をひとつの生産単位とみなし、女性の社会進出による機会費用の増大や養育費といったこどものコスト増が少子化の因であるとする指摘であります。

ベッカーの主張にフェミニズムを加味した新古典派経済学の視点からは、家庭での男女役割分業が労働市場における求職のミスマッチを生み出す一方で、ゲーム理論4)におけるパレート最適(社会的調和)を達成することに主眼が置かれます。この方法論的個人主義における最適解は必ずしも公平性を担保しないことが前提条件であり、最終的には効率重視の考え方が近々の少子化対策に限らず多くの政策に係る意思決定の趨勢となっているのが現状です。詳しくはキャサリン・ハキムらの選好理論をご参照ください。

 

注1)ゲーリー・スタンリー・ベッカーは1992年のノーベル2)経済学賞受賞者。シカゴ学派の旗手として旧来のマルクス経済学等の枠に囚われない闊達な論客として知られています。

 

注2)アルフレッド・ノーベルの遺した「ノーベル賞」は物理学・化学3)・医学生理学・文学・平和の5分野を対象としていました。後にスウェーデン国立銀行が基金を投じて強引に創設したのが経済学賞。泣く子も黙るノーベル財団、人類最高峰の権威さえも容易く捻じ曲げる~経済学の剛腕を後世に伝える道標として夙に有名なエピソードとなっています。

  

注3)さてここで問題です

物理・化学・生物、仲間外れはどれ? (物理学 化学 生物学)

国語・算数・理科・社会? (国語科 算数科 理科 社会科)

あか・あお・きいろ? (赤色 青色 黄色)

東京・大阪・沖縄・北海道? (東京都 大阪府 沖縄県 北海道)

 

注4)列車の座席と乗客との関係性は皆さまご存じ椅子取りゲームの図式に等しく、空席がなくなった時点でゲーム理論に言うパレート最適状態であると考えられます。つまりは誰かが座ろうと試みれば必ず他者の利益を侵害する臨界に達していることが、資源の合理的分配の帰結であると説く経済論です。

いうまでもなく、最適が最善とは限りません。お年寄りの座る場所がなくても、座席が合理的に供給されている以上、経済学的な解決は困難です。ここへ社会的圧力を持ち込むことで膠着を緩め、最適を→最善へと近づけようとする試みが鉄道各社の目指す「優先席」への挑戦だったはずです。

裏を返せば新幹線の指定席・グリーン席は自由経済における市場原理の冷酷な一面であり、この非人道的な制度設計を批判できない自分自身が前述G.ベッカーの呪縛から逃れられない現実、を思い知らされます。誰が考えたのか知らないけど椅子取りゲームって人生の縮図ですよね。幼稚園の運動会はじめ学校・職場・家庭・地域社会もろもろの中で、好むと好まざるにかかわらず隣人と競い合って選抜されるシステムが社会的調和を保っていること。こどもの教育上どうなんでしょう。嬉々としてゲームに興じるこどもたちを見ていると切なくなります。

 

おとうさん、グリーンしゃってお金持ってるひとを「ゆうせん」するの?どうして?お金持ちはえらいの?赤ちゃん連れたママとか白髪のおじいちゃんにやさしくしてあげなくていいの?

そうだね、、、あした幼稚園のセンセイに聞いてみようか。

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